岩手県立高田高校学習支援プロジェクト報告



2011年3月11日に起こった東日本大震災と大津波によって、
三陸沿岸の街は未曾有の災害を受け、岩手県でも、多くの
街が壊滅状態になりました。
やっと逃げた方々も、山の上から降りるにはがれきの上を
歩くしかなく、電気、水道、電話、ガス、すべてのインフラ
が破壊されてしまいました。
約2ヶ月が経った今でも、取り除かれたがれきはほんの
わずかで、主要道が確保されただけになっています。
また、多くの方々が亡くなったり、いまだ行方不明のまま
です。

津波に襲われたとき、学校にいた子どもたちは、一部を
除いてほとんどが生き残りました。そのことから私たちは
簡単に破壊された堤防よりも、たしかな教育と防災訓練が、
人を守ることを学びました。

が、街で働いていた大人たち、さらに、老人を助けようと
戻った人たち、街を守るために、役に立たなかった防潮堤の
鉄門を閉めに行った人たち、最後まで「逃げてください」と
アナウンスしていた役場職員は亡くなりました。

そういう働き盛りの年代が亡くなり、子どもたちは将来の
不安を抱えています。

人を育て、街を作っていくのは教育です。

この活動は、そういう子どもたちが、本来持っていた辞書
や参考書を、違うものになるかもしれないけれども、また
彼ら彼女らの手に戻してあげようとする活動です。

3月31日から4月末までを辞書と参考書の募集期間とし、
ゴールデンウイーク中の休日を使って、ボランティアの
手によって辞書と参考書は細かく分けられ、被災地の先生
方の手をできるだけわずらわさないようにパックされて
提供されました。

第一陣が5月5日に岩手県盛岡市の岩手大学を出発し、辞書と
参考書を高田高校(大船渡東高校萱中校を仮校舎とする)に
運びました。

ここでは、そこまでの活動を、画像を中心にご報告いたします。




私は、岩手大学環境サークルリユースが学内の教科書を集めて
他の学生に提供しているのを知っていましたから、まず最初に
学務担当理事に、そして、岩手大学生協学生委員会に動いて
もらえないかと思い、生協の専務に協力を依頼しました。

その結果、リユースの学生さんたちが学内や周辺高校にお願い
してくれました。また、生協の専務は、大学生協連合会?に
連絡してくださり、多くの大学生協から協力をいただきました。
これは、中京大学生協が中京大学生に呼びかけたチラシです。
本当にたくさんの辞書や参考書をご提供いただきました。




これは、中京大学の方々がお送りくださった寄せ書きです。
このまま、高田高校の先生にお渡ししました。




都内の学生さんたちが作っているグループ、参考書宅救便。
12箱送ってくれました。
あれ?(謎)




これら、岩手大学の私宛に送られたり、持って来ていただいた辞書と
参考書は、鍵のかかる屋内プールのプールサイドで保管しました。




このダンボール箱は、個人の方が中心になって送ってくださったものです。




まずダンボール箱を次々に開け、送付伝票やメッセージを別にし、
中身を確かめて、辞書や参考書を細かく分けていきました。




これは辞書を分けたところです。




英和辞典の種類がこんなにあるとは知りませんでした。
同じものが集まるまで梱包せず、集まり次第、同じものを一緒に入れ、
最後のほうは、中身をすべて書き出して梱包しました。
これで、先生方は中に何が入っているか、自分で確かめなくても
済むのではないでしょうか。




こちらが辞書、あちらが参考書です。
参考書をどのように分ければ良いのか、私たち年配者には
わかりませんので、学生さんたちにお願いしました。




参考書は学生さんたちに仕分けてもらいました。
だいたいいつも9人くらいが入れ替わりで手伝ってくれました。
参考書は4000冊を越えました。これらすべてを、いちいち
内容を考えながら仕分けていきました。




これは、辞書の仕分けです。おもに教職員が分けました。
だいたいいつも5人くらいでした。
2400冊を分けました。

辞書も参考書も、持ち込みはまだ受け入れています。
が、ご送付いただくのはストップしています。




仕分けたダンボールには、すべてこの紙を貼り、中身がわかるように
しました。




これは仕分け3日目の終わりの様子です。
床が見えたときには、思わず涙が出ました。

しかし、この次の日、また50箱が送られてきました。
もちろん、想定していました。
そこでまた仕分けていただきました。




岩手大学では、しだれ桜が満開になりました。
東北の非被災地にも、観光客がたくさん来てくれたでしょうか。

私はプールの中で最後の作業です。
5日に高田高校に渡せるように選別作業をしました。
結局、ここで記録ミスを見つけたりして、1日かかりました。
これは今後の反省点として生かすつもりです。




これが、だいたい終わって、そのダンボールを種類ごとに並べたところ
です。向こうが4種類の辞書。こちら側が、英語や数学、国語、古文など、
教科科目ごとに並べたダンボール箱です。




5日、トラックに荷物を積み終えた高田高校の先生方と梶原です。
トラックは、先生の実家のトラックです。先生の車は、津波で
流されました。それ以降、内陸から沿岸の高校まで、トラックで
通勤しています。
また、学校のそばの宿舎に住んでいた先生の車は、奥様が小さい
お子さんを連れていち早く盛岡の実家まで帰ったとか。
母は強し。しかも、そのおかげで車がありますので、この二人が
盛岡まで辞書と参考書を取りに来てくれました。他の先生の車は
高校に停めたまま、どこかに流されてしまったのでしょう。
参考書を先生が見に来て選んで欲しい、などと考えていた私の、
なんと想像力の貧しいことか。
今回は、そういうことばかりです。
皆さんのおかげでたくさんのことを学ばせていただいています。
ありがとうございます。




皆さんのメッセージも、漏れなくお渡ししました。




岩手大学教育学部前の桜が散り始めました。




上と同じ桜です。

今年のGWは、家族をどこにも連れて行きませんでした。
家内は、地震による職場のガス爆発で解雇になってヒマなのに。




ということで、ガソリンが供給されるようになって、まっ先に向かった
気仙沼の牡蠣養殖業者、畠山さんの講演会も企画されています。

今後は、東北の三陸沿岸と何をどのように連携できるのか、一所懸命
考えていきたいと思っています。私の研究施設も無くなりました。が、
必ず復旧し、復興を目指したいと思います。

これからも長い支援になると思いますが、本当に必要なことを、
本当に必要なタイミングで、本当に必要としている方々に対して
行っていきたいと思っております。
ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

最後になりましたが、多くの辞書や参考書を贈ってくださった皆様を
はじめ、仕分けをしてくださったボランティアの学生さん、教職員の
皆様、そしてこの活動を支えてくださった岩手大学に感謝したいと
思います。

ありがとうございました。

文責:岩手大学教育学部 梶原昌五
2011年5月5日の誕生日に。